トップ > 最新情報 > 多数の草津温泉絵図から江戸後期以降の草津白根山の活動推移を解き明かす:寺田暁彦准教授(火山・地震研究コア)
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本白根山の噴火を示唆する絵図などを発見
東京科学大学(Science Tokyo)総合研究院 多元レジリエンス研究センターの寺田暁彦准教授と群馬大学 関戸明子教授の研究チームは、群馬県北西部に位置する草津白根山の江戸時代後期以降の約200年間にわたる噴煙活動を、草津温泉を描いた多数の鳥瞰図を用いて復元しました。
この過程で、噴煙を上げる本白根山を記した鳥瞰図を初めて確認したほか、昭和初期以前の白根山は、ほとんど常に噴煙を上げていたことが初めて分かりました。明治2年に発生した草津温泉大火で史料が焼失したため、これまで、明治以前の草津白根山の活動は分かっていませんでした。
近代観測が始まる以前の、約200年間にわたる噴煙推移が復元されている火山は多くありません。今後の草津白根山の利活用を考えるためにも、過去の活動推移を理解し、現在の草津白根山の活動を位置付けることが重要です。
本研究では、お土産として広く流通していた多数の鳥瞰図(草津温泉の観光ガイド)に注目しました。鳥瞰図は各観光地で制作されていました。それらを調べることで、歴史に埋もれた過去の火山活動の痕跡が、他の火山でも復元されるかも知れません。本成果は、10月24日付(現地時間)の「Bulletin of Volcanology」誌に掲載されました。
群馬県北西部に位置する草津白根山は、多彩な高山植物や、草津温泉などの恵みを人々にもたらす一方で、水蒸気噴火がたびたび発生してきました(図1(a))。2018年には草津白根山の本白根山が噴火し、死傷者12名の災害になりました(Terada et al., 2021[参考文献1])。

草津白根山の麓には1,000年以上の歴史を誇る草津温泉が存在するにもかかわらず、同火山の明治時代以前の活動はよく分かっていません。なぜなら、明治2年(1869年)に草津温泉街を襲った大火により、草津白根山を記した歴史資料の大半が焼失したためです(久保、1940[参考文献2])。
その一方で、草津温泉では江戸時代後半から観光ガイドとして鳥瞰図(図1(b))が制作されていました。最新の情報を盛り込むために、鳥瞰図は毎年のように修正・出版され、それらは草津温泉以外の地域でも広く流通しました。その結果、草津大火を免れた鳥瞰図が現在に多数伝わっています。繰り返し出版されていたので、温泉街が時代とともに変化する様子も分かります(関戸、2018[参考文献3])。本研究では、草津温泉街の背景として、鳥瞰図に描かれた山々の描写に注目しました。

江戸時代後期から100年以上にわたって繰り返し出版されていた鳥瞰図を収集し、出版年の明らかな69点を用いて、草津白根山の噴煙活動が時間とともにどう変化したのかを検討しました。
その結果、文政年間(1818-1830年)に描かれた鳥瞰図に、噴煙を上げる本白根山が描写されていることを確認しました。その前後10数年に描かれた鳥瞰図に本白根山は描かれていません。このとき、2018年噴火のような単発の噴火が発生し、本白根山が一時的に注目されたと思われます。
また、過去200年間で、白根山から噴煙が途絶えたのは19世紀半ばの約30年足らずであることも分かりました。その一方で、これまでの口述伝承によれば、明治時代以前は70年以上にわたり静穏とされていました。
鳥瞰図における描写の正しさは、草津町内に伝わる文章記録と比較することで確認しました。白根山の噴煙の有無は、同時代の別の歴史資料(松代藩士の紀行文や弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図などの長野県側の記録、十返舎一九の『上州草津温泉往来』、村絵図など)と比較して矛盾がないことを確認しました。
2018年噴火の当時、本白根山では歴史時代としては初めての噴火とされました。地元では、本白根山が噴火する山である、という認識もありませんでした。ところが本研究から、噴火と思われる事象が200年前に発生したことが示唆されました。2018年噴火と併せると、従来の認識よりも本白根山の活動度が高い可能性があります。本白根山は、コマクサに代表される高山植物や美しい景観に恵まれています。本研究成果は、今後、同山の安全安心な利活用を考えるうえで重要です。
白根山についても、昭和初期までは、山麓から見える規模の噴煙を常に上げていたことが分かりました。これは、近年の同山のイメージとはだいぶ異なります。2014年以降、白根山の活動が活発化しており、たびたび噴火警戒レベルが2へ引き上げられています。活発な状態は、同火山としては、むしろ当たり前のことかもしれません。
本白根山が200年前に噴火したならば、それに対応する火口が現存している可能性があります。実際に、同山ではいくつかの火口地形が見つかっています。今後の地質調査の進展により、その噴火の実態が明らかになるかも知れません。
我が国で近代的な火山観測が行われるようになったのは、明治時代の中期以降です。それ以前に発生した小さな水蒸気噴火や噴煙活動は、文字通り空へと霧散したため、地質調査では復元できません。本研究により、鳥瞰図の火山研究への有効性が示されました。他地域でも鳥瞰図は作成されていたことから、今後、他火山でも、忘れ去られた過去の活動が復元できるかも知れません。火山の過去を知ることは、現在の火山活動を評価し、将来の活動を推し量る一助になります。

本研究は文部科学省による「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画(第3次)」の支援を受けました。